本研究では、日本における西欧フェミニズムの受容を、二つの課題に絞って検討した。一つは女性参政権を中心とする男女同権・男女平等論であり、もう一つは女性の自我の確立による解放である。前者は、明治初期に英米の自然権思想を引き継いだ天賦人権論の一環として導入され、ミル、スペンサー、フォーセットなどの著作が翻訳された。これら19世紀イギリスの思想家たちは、前世紀の自然権思想家と違って、功利主義や進化論の思潮のなかでフェミニズムを説いたのであって、その屈折した思想が民権運動家や彼らに共鳴した女性たちによってどのように受け止められたかは、論文「明治期におけるフェミニズムの受容」として発表した。大正期には、欧米の女性参政権運動に刺激されて日本でも運動が開始されるが、その理論的土台は、基本的には明治期の人権論の延長線上にあった。 後者の自我の確立については、大正期に『青鞜』の女性たちが取り組んだ。従来、この問題は英米の「新しい女」やイプセンの著作との関連でとりあげられてきたが、本研究では、ショーペンハウアー、ニーチェ、ヴァイニンガーなど、女性蔑視的ドイツ哲学の影響に注目した。『青鞜』の規約には「女性の天才」の育成を目的とするとあり、平塚らいてうや与謝野晶子がニーチェに言及していることからみても、ドイツ哲学のインパクトを無視することはできない。ここでは、カントからヴァイニンガーにいたる思想家たちの、女性蔑視の論理構造と系譜をあきらかにし、『青鞜』の女性たちの受け止めかたと、母性保護論争のなかでそれがどういう意味をもっていたかを検討してみた。
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