本研究は、日本が欧米のフェミニズムをどのように受容したかをあとづけ、分析することによって、フェミニズムの世界史における日本の地位を明らかにすることを課題とした。今年度までの研究では、論点を男女平等論(参政権を含む)と女性の自我形成の2点に絞った。 男女平等論は、明治期にアメリカ合衆国の「独立宣言」やイギリスの自然権思想の影響を受けた天賦人権論とのつながりで論じられた。だが女性論として翻訳されたのは、功利主義の影響のもとにあったJ.S.ミル、ハーバート・スペンサー、ミリセント・ガレット・フォーセットの著作であった。これらの思想家のなかで、日本のフェミニズムにもっとも影響力をもったのはスペンサーであったが、彼はのちに進化論をとりいれ、フェミニズムから離れていった。本研究では、西欧社会が長期にわたって論じてきた思想を、近代化の道を歩き始めた日本が、短期間のうちにどのように受容し論じたかを検討した。 女性の自我形成には、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワイニンガーなどドイツ哲学による刺激があった。これらの哲学者は反フェミニストであったが、彼等の自我の主張と天才への憧憬は、『青鞜』の女性たちに自我形成と天才の発現の必要性を認識させた。後に彼女たちは、ドイツ哲学の観念論から離れ、母性主義、労働による自立、参政権という具体的要求に向かっていった。本研究では、これらドイツ哲学者のジェンダー観を明らかにするとともに、女性たちによるそれらの受け止め方について検討した。 この研究を通じて、日本における欧米フェミニズムの受容形態は、欧米フェミニズムのインパクトをうけた途上国が通過しなければならない過程であることが明らかにされたと考える。
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