研究概要 |
アリストテレース『詩学』で詩を対象として展開されるミ-メ-シス論において,音楽的要素がいかなる働きをなしているかを文献学的に見極めることによって,「ミ-メ-シス」の実体と機能を見直そうとするのが,本研究の課題であり,本年度はまず第4章と第6章における「ミ-メ-シス」とそれに関連して「カタルシス」の哲学的解釈を目的として,研究を進めた. 第4章でミ-メ-シスの基本契機を問う中で現われる「この人はあの人だ」という言葉(48b17)は,劇世界に登場し観客の意識の前に立ち現われている「この人」と,現実世界ないし歴史世界における実在的存在とを重ね合わせることを意味する.つまりミ-メ-シスとは,現実世界から遊離した仮象世界の提示なのではなく,現実世界のそれまで隠れていたありようを受け手に示す現実開示の営みに他ならない.他方詩作は作品の感覚的質を彫琢することによってはじめて一つの「ジャンル」ないし形式として成り立ち,かくして詩作の一分野たることを確保することができる.これが第4章後半(48b17-49a31)で説かれる詩の諸ジャンル歴史的概観の主眼である. 次に第6章に出現する「カタルシス」は,ミ-メ-シスたる悲劇の機能を語るもので,やや拡張していえば,「我々にとって芸術とは何か」という問いに対する答えでもある.従来の解釈は,仮象世界としての悲劇の効果ないし構成の面からカタルシスを理解しようと努めてきた.その最大の根拠が,Riccardianus 46などの伝えるπαθηματωνの読みであり,『政治学』での感情浄化の説であった.しかし『詩学』の最良最古の基本資料であるParisinus 1741は明確にμαθηματωνの読みを伝えている.この読みを採用するならば,カタルシスは何らかの学びに関わるのでなければならない.この学びが第4章で述べられる現実開示の学びに他ならないと考えるのが,本研究が明らかにした本年度の中心的成果である。
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