研究概要 |
I. 日本人の精神性もしくは感受性を占いやジンクスに対する反応という観点からみた研究: 大学生を被験者にして、まず、青年期の者が大きな関心をよせる可能性のある「恋愛占い」の資料を与え、自由時間を使って、その占いをどのくらい熱心にとりくむかを、ワンウェイ・ミラーを通して時間を測定した。次に、この時間の長短で、被験者を二分し、さらに、自己直視性尺度(八木,1995)で、二分した上で、恋愛運を測定できると称した認知課題を与え,(1)「恋愛運の強い人ほど良い成績を残す」もしくは(2)「悪い成績を残す」といういずれかの教示のもとで、自由練習時間と課題の成績を指標とした実験を行った。結果は、自己直視性が高く、占いに関心を寄せなかった被験者は、他の被駿者とは逆に、(1)のときは練習時間が短く、(2)のときは長かった。つまり、占いに翻弄されていない姿を示した。 しかし、課題の成績を指標とすると、全ての被験者が(2)よりも(1)のときに良い成績を残した。この結果は、精神性や感受性に関連する自己直視性という特性には、自己の基準で生きたいという意志が確認される反面、その意味を把握するためには、ある種の矛盾とか弱さといったものも考慮に入れなくてはならないことを示唆しているものと判断される。 II. 自己直視性とユニークネス(独自性志向)との関連から見た研究: 被験者を自己直視性の高低で二分し、 「あなたはユニークネスが高い」もしくは「低い」というフィードバックを与えた場合、自己直視性の高い者で「ユニークネスが高い」という評価を受けた者は、一般に他者に対しての好意度が下がり、尊大な感情をいだくようになった。この結果は、自己直視性の高い者に、自己直視性の高さを誇る意識を喚起させることによって、自己直視性の本来の機能とは異なった、いわば自尊心の代償としての側面が現れてくる可能性を示唆しているものと思われる。 III. 文献にもとづいた評論: わが国の古典『徒然草』を素材に、兼好法師の「感受性」の強さと弱さについて検討した。他者との比較による優越性の意識を喚起させまいと決意して、この世を渡るとき、感受性の鋭敏さは、強さと同時に不安や恐れといった「弱さ」なしではありえないことを示唆した。この主張は、アーネスト・べッカーの『死の否認』を通しても展開された。
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