I.昨年に引続き、『徒然草』を素材に、感受性の問題について理論を展開し、論文として発表した。 兼好の繊細な感受性ゆえに死の脅威(無帯)を洞察したこと。この無常を超越するために、遁世僧→修道僧→遁世僧と移り変わっていく過程で、「諸縁放下」から「寸陰愛惜」という二つの決意を通して、やがては、自己決定とか選択を尊重する実存主義的な人生の原理にたどり着いたことなどが、論述された。西洋思想が生み出したものと同じ真理を六百年も早く、しかも、日本で獲得した人物がいたことに注目しなければならない。このような兼好の進展の内容は、さらに、アーネスト・ベッカーの『死の否認』の解読を通して、両者の思想の共通性としても確認しておいた。 II.ダイエット志向の強弱の個人差を考慮に入れつつ、自我脅成と死の脅威に対してどのような食行動が生じるかを実験によって調べた。結果は次のとおりである。 ダイエット志向の高い者は、統制群におけるよりも、自我脅威群において摂食量を増大させ、自我脅威十楽観主義(自我脅威を与える体験の内容を楽観的に再解釈することによって自我脅威を緩和させる)群において、その増大させた摂食量を、統制群の水準にまで減少させていた。一方、ダイエット志向の低い者は、統制群におけるよりも、自我脅威群において摂食量を減少させ、自我脅威十楽親主義群においては、その減少させた摂食量を、統制群の水準にまで増大させていた。言い換えれば、統制群では、摂食量において、ダイエット志向の高い者<低い者、という関係がみられ、自我脅威群において、ダイエット志向の高い者>低い者、という逆の関係になり、さらに、自我脅威十楽観主義群において、ダイエット志向の高い者<低い者、という関係が再び見られた。死の脅威群では、ダイエット志向の高い者も低い者も、自我脅威を受けたダイエット志向の高い者が摂食するのと同じ水準まで、食行動を起こすことが示された。死の脅威を対象とした摂食量については、今回、食行動が逃避手段として使用されることが示され、新たな資料を提供することになった。
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