I.すでに一部報告してある、重い病気を持ちながらも経済的に苦境にある人物への援助行動を指標にした実験において、共感の型の違いを考慮することによってデータを追加した。結果は次のものである。 自尊心の高い者は、相手の立場に立って共感を喚起させる場合は、相手との心理的距離を置いた上で、多くの援助を行い、そうした自己に満足を覚える。しかし、不幸は自分の身にも降り掛かるものとして相手に共感する場合は、援助を減少させた。一方、自尊心の低い者は、いずれの共感の型であっても、相手との心理的距離を置かず、多くの援助を行い、しかも、そうした自己に満足を覚えるということはなかった。この結果は、自尊心の高揚が現代社会に適応するための有効な武器であるとしても、それは、真の意味での美徳として機能しないことを、あらためて、示唆している。この自尊心を補うものとして設定された自己直視性の高低の個人差で結果を再分析すると、自己直視性の高い者は、共感の型に影響されずに、多くの援助を行い、しかも、そうした自己に満足を覚えることはなかった。この結果から、自尊心と自己直視性を共に高めた状態をより理想的なものとして提案できるのではないかと思われる。 II.自尊心の高低×競争意識の喚起の有無×課題の選択の有無、という実験計画のもと、内発的動機づけのパラダイムを使った実験を行った。 自尊心の低い者は、競争意識の喚起される状態にある場合、課題を選択することによって、課題を強制されるよりも、自由時間における練習量を短くした、つまり、内発的動機づけを低めた。他の群は、課題を選択することによって、内発的動機づけを高めた。また、実験への満足(well-being)を指標にとると、競争意識のある場合には、練習時間と同じパタンが見られたが、課題に集中する場合には、選択の有無に関わりなく、競争意識のある場合よりも、全体に、より満足を覚えていた。この結果は、選択とか自己決定の有効性は、競争事態で、自尊心の高い者にだけあること、課題に集中する場合には、選択とか自己決定とかに拘泥する必要はなく、課題に集中することそれ自体が恩恵であることを示唆している。この結果から、選択の前提として重視してきた自己直視性という特性も、課題集中(没我)の前提として機能させるべきであるという新たな視点をえることができると思われる。
|