[第1章]魅力的な社会批判のあり方を探るために、日本の知識人をめぐる言説を検討し、ロマンチックな観念性/普通の日常生活という対立への批判、観念的な自己還帰に終わるラディカリズム批判、“九〇度の転向"論などに注目した。さらに、近代化と知識人をめぐる問題、とりわけいわゆる近代主義をめぐる議論を検討することによって、魅力的な社会批判といえるためには、知識人が論じるその対象が「その内部に自己をふくんだ集団」であることが必要、という論点が得られた。魅力的な社会批判にかんする以上の議論を内在的社会批判の立場として整理した。[第2章]戦後日本の知識人を幾人かとりあげ、彼らがムラ共同体をいかなるスタンスから取り扱ってきたのかという問題を検討した。そこで確認されたのは、「没批判の現状肯定」か外在的社会批判かという二者択一は誤れる選択だということである。換言すれば、きだ・みのるの知識人としての仕事の意義をもっとも明確なかたちで取り出せるのは、戦後の進歩的な知識人に往々みられた、自己を、日本の外部、西欧型の近代市民社会におくという「自己特権化という欺瞞」への対抗という脈絡においてである、という論点にほかならない。そして、こうした立場がなぜ「没批判の現状肯定」ではないのかということを明らかにすることの可能な枠組みづくりをめざした。[第3章]前2章の、知識人・きだみのるの位置を確定するするための枠組みづくり作業を踏まえて、きだ・みのるの評論活動を、彼の著作・論文・エッセイを読み込みながら検討・考察し、彼の社会批判のスタイルが、外在的社会批判に対比される内在的社会批判の立場にほかならないことを指摘した。そのさい、検討の中心においたのは、きだ・みのるがいわゆる“東京の知識人"にたいしていかなるスタンスをとっているかという点である。[資料]「きだ・みのる著作一覧」(論文やエッセイも含む)
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