本研究の目的は、神戸市のインナーエリア地域に住む奄美地域出身者や在日韓国・朝鮮人などの都市マイノリティ層が阪神大震災で被災した中で生活復興を果たしていった過程を明らかにすることにあった。そこで、本研究では、1.昭和初期に重化学工業化が進んだ阪神都市圏の構造変容と、奄美地域出身者や在日韓国・朝鮮人などの都市マイノリティ層が流入してきた過程と生活のあり方を明らかにしていくことで、これら労働者の阪神都市圏における「定住」過程を明らかにし、次に、2.奄美地域出身者にしぼり、奄美地域の地域構造の変容を解明してしくことによって、奄美地域から大量の出郷者が生じた原因を明らかにした。さらに、3.奄美出郷者が神戸市に「定住」してきた過程を、奄美出郷者の同郷団体である「神戸沖洲会」の活動を通して明らかにし、4.神戸沖洲会の同郷団体の救援活動をとおして、震災直後の奄美出身者の生活対応を明らかにした。さらに、5.「神戸沖洲会員の生活と意識」は、現在の沖洲会活動のあり方を、会員調査を通して明らかにし、6.徳之島出身者であるM氏の生活史をみていくことで、奄美出身者の神戸「定住」過程を明らかにした。 これらの分析をとおして本研究では、都市マイノリティ層が近代日本資本主義の構造的な特質のなかで現れた存在であること、またこれらのマイノリティ層の中にも構造的な格差が存在していること、その中で同郷性を媒介とした相互扶助がおこなわれており、この相互扶助を前提として高い神戸市への「定住」意識がみられること、その一方で世代間に生活意識の相違があることを明らかにした。
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