1 セイコ-エプソン社の歴史: その前身は戦時中に設立された諏訪の大和工業および第二精工舎諏訪工場である。戦後はスイスを目標に技術を発展させ、腕時計メーカーとして不動の地位を築いた。同時に1964年の東京オリンピックを機会に、プリンター開発も手がけ総合情報機器メーカーへと発展した。1996年度の売上げ高は情報機器50%、電子デヴァイス30%、時計10%である。 2 海外事業展開: 1968年にシンガポールに初の海外生産拠点を、その後80年に北米に、87年にイギリスに生産会社を設立している。1996年現在で海外に販売拠点29、生産拠点16をもち、その多くは東アジアに集中している。重要な生産点はシンガポール、香港と深川、上海、ジャカルタ、マニラである。東アジアへの進出は80年代は低コスト、なかんずく安い労働力を求めてのものであったが、90年代に入ってからは市場としての将来性を重視した進出に転換している。中国の生産会社は国内における販売権をもっている。国内事業所との分業体制は、国内が研究・技術開発、海外が量産に従事するのが基本であり、ヘッド等の主要部品は日本から送っている。しかし最近は現地調達率を引き上げ、なるべく上方の技術も海外に移転する方向にある。 3 協力企業の変化: エプソンの海外事業展開の拡大にともない、協力企業の経営は余儀なく変容している。調査を行った三社の特徴を整理すると、時計で培った高技術を自動車などの他の分野へ応用する、サービスなどの海外に出にくい市場に進出する。あるいは製品の開発段階から関与し親企業との関係を強化して生き残りを計るなどに分類される。他方、人員整理を敢行する企業、日系ブラジル人の雇用を拡大する企業などもみられる。
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