研究概要 |
イギリスの専門的<教育ジャーナリズム>は、19世紀初頭に萌芽を見せその後半期にほぼ確立して20世紀へと展開していく。本研究は、19世紀イギリスにおいて教育事件が専門的教育雑誌=<教育ジャーナリズム>でどのように扱われてきたか、ということを一般新聞報道との対比で分析することを目的とした。そのさい、とりわけ、教育事件の一つとしての学校体罰事件、とくにイギリス学校体罰判例の原型に位置づく1860年ホープリー事件をめぐる報道・論評の分析を中心とした。 そのために、19世紀教育雑誌に関する書誌的基本研究Laadan Fletcher,The Teacher's Pressin Britain 1802-1888,1978.をベースにして、それが扱った61種の教育雑誌のうち1860年時点で発行されていた12種の記事全てを通読し分析するとともに、地方新聞および主要な英国新聞におけろポーブリー事件関連記事を収集・分析した。 その結果、ホープリー事件が当時きわめてセンセーショナルな事件として新聞報道で詳細にとり挙げられ論評されたものであったこと、および、そうした新聞報道との比較で、教育雑誌のスタンスが非常に防御的な傾向を顕著に有していたことを明らかにした。また、「英国初の教育学教授」ジョセフ・ヘインが体罰論議の教育学的定型を創出していたことを摘出し分析した。 以上の成果は、「1860年イギリス学校体罰死事件に関する報道と教育論評ーホープリー事件裁判の教育史的再構成ー(2)」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』第38巻、1999年)で公表され、最終年度報告書としてまとめられた。
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