明治期初等教育における学級の成立過程について、主に進級制度に焦点をあてて検討を行った。 1 明治前期の等級制は、制度理念としては、学力到達度を厳格な試験によって測定しその成績によって生徒を、学力等質にグルーピングしようとした。しかし、実態は、学力以外の評価、例えば日常の出席、行状、学習態度などが進級試験の成績に加えられ、かつ合級制が常態化しいて、進級基準は曖昧にされる傾向にあった。1881年以降の徳育重視策ー修身科の進級試験では約5割が平素の行状点、1886年には人物査定法が採用ー、一年進級制(1885)、合級制の制度的認知(1886)といった動向が、これに拍車をかけた。 2 1891年学級制がはじまるが、進級に関しては1901年までは試験による進級制度であった。しかし「平素ノ学業行状」をも斟酌するという規程のもとで、進級、卒業認定における試験の重要度は後退し、学力到達度の測定は曖昧にされる傾向が更に強まった。 3 就学率向上による学校規模の拡大により、学年別学級が成立する。その背後には1901年、試験による進級、卒業認定が廃止されたことがある。進級基準を曖昧にすることで年齢別学年別の学級集団が成立した。 4 総じて、合級制、単級制、に端的に現れているように、正教員の担当する児童集団は一貫して学力異質集団であった。等級制では、これを主に等級(学力)によって区分し、学級制では主に学年(年齢)によって区分した。1900年頃以降、同一学年の学級内部における学力別グルーピングが実践されるが、区分形態としては、それ以前のグルーピングを引き継いでいるにすぎない。なお、生徒集団の生活集団としての教育的意味については学級制において発見されるが、学習集団としての教育的意味は、未だ発見されていない。
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