平成9年度の研究を継続し、ナチズム期ゲッチンゲン教育学派の政治的教育学的立場について、学派の創始者H.ノール及びその後継者たちE.ヴェーニガー、E.ブロッホマン等を中心に考察を行った。ノールに関しては、ゲッチンゲン大学中央図書館収蔵のノール遺稿文書集を調査し、未公刊の1933/34年冬学期講義録「国民教育の基礎」や私的な書簡の分析から、ナチス政権掌握期のナチズムに対するノールの立場に時差が存することを明らかにした。すなわち、私的な書簡においては1933年頃からすでにナチスに批判的な姿勢が読みとれる一方、講演、講義、著書等の公的な教育学的テキストからは1935年頃まで明らかにナチスに親和的な言辞が認められるのである。ノール自身はこのような言辞を時代の中で発言する教育学者の責任、ないし自らの学派に迫る危険を回避するためであったとしているが、とりわけ1933/34年冬学期講義はナチズムの人種学イデオロギーへの接近を示しており、ノール教育学のナチズムへの迎合的再構成がなされたことを窺わせた。ノール学派に関しては、ナチスのユダヤ人排斥により国外へ移住や亡命をしたブロッホマンやC.ボンディ等と、ナチスに同調したO.F.ボルノウ、ヴェーニガー等の二つの集団に区分された。とりわけ1990年にテキストとして公刊されたヴェーニガーの「軍隊教育学」1944年論文は、ナチズムへの迎合的言辞が顕著であることが明らかになった。しかしこの二つの集団は、単純に加害加担者と被害者という二項図式において道徳的責任を評定されるのみではその関係構造が明らかになりえず、さらに個々の教育学者の時代状況の中での位相を解析することが課題となるものである。以上の研究成果は、「ナチズムとノール教育学(3)」(中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第43巻、1998年)として公表するとともに、別冊「研究成果報告書」にとりまとめた。
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