研究概要 |
(1) 中教審関係資料が公開されていないため,広島大学・横浜市史編纂室などに分散している森戸辰男氏(元中教審会長)所蔵を中心に数次にわたる資料調査を行い.目録作成及びマイクロ撮影による収集を行った。また,国立教育研究所がすでに収集した『石川二郎文書』(元文部省調査局企画課)中の中教審関係資料の収集も行った。その結果は,教育史学会第42回大会(1998年10月,於筑波大学)において「森戸辰男文書と中央教育審議会資料」として発表した。 (2) 資料収集の結果,1953年の発足から1970年に至る中教審の総会・特別委員会資料の概況と,1957年4月27日第58回総会における「科学技術教育の振興方策について」諮問から,同年11月11日第66回総会における審議採択までのプロセスをほぼ把握できた。ただし,議事録は発見できなかった。その結果は, 『中教審と大学改革』 (広島大学 大学教育研究センター高等教育叢書55,1999年3月)として発表した。 (3) 以上の結果,明らかになった第1は.,中教審における「科学技術教育の振興方策」は.,諮問以前に,文部省による詳細な文書「秘 科学技術教育の振興について」が作成されており,最終答申も,ほぼこれに沿ったことである。教育刷新委員会による占領下の改革が,審議会の主導であったのに比べ,文部省の役割が極めて大きいと言えよう。 第2は,科学技術教育の振興方策は,占領下の義務教育制度改革が定着したという認識のもとに,教員養成改革と並んで,1950年代末の高等教育改革の一部をなすものであり,引き続き,1963年の「大学教育の改善について」に連結していったことである。以上を通じて,1950年代から1960年初頭にかけての高等教育改革全体を構造的に把握する知見が得られた。
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