本研究で得られた結論はつぎのようにまとめられる。 1)19世紀後半にロシアは近代化に直面し「大改革」が試みられた。その影響で大家族から小家族への移行、農村から都市への出稼ぎと移住などが進み、都市労働者家族の乳幼児の養育問題を解決するため無償の保育施設が誕生した。他方、フレーベル思想の影響を受けた有償施設も大都市に開かれた。しかし両者は革命前に300園未満で、欧米諸国に比べ非常に高い乳児死亡率に示される乳幼児の劣悪な養育環境の改善に資するところは少なかった。 2)1917年秋以降の新政権の教育人民委員部就学前(教育)部はこうした事態に対応するため、「すべての幼児を国営施設で無料で保育する」という育児支援対策を提起した。だが、1920年代初等の大飢饉やその後の新経済政策の影響を受け、同対策は同年代中葉に「ごく一部の幼児を、主に公営と私営の施設で、基本的に有料で保育する」という実態に行き着いた。この間に乳幼児の養育環境はやや改善されたものの、基本的に劣悪なままにとどまった。このあと同年代末から始まる文化革命期に国家と社会は根本的な変化を迎え、養育環境は激変する。
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