本研究では、近江学園の60年代実践の検討を通して、学園の「発達保障論」の実像に迫ることを目的とした。 「発達保障論」の立場を自覚した実践への転換の直接的契機は、「土曜会」(61.1-3月)における班制度下での実践の批判的検討であった。そこでは主に「精神薄弱児の見方」が深められ、研究部の心理学的発達研究の成果を受けて、発達段階論を軸にすえた子ども論がその後の実践の基調に位置づけられた。その具体化が61年度教育部体制であり、発達段階間の移行(高次化)が教育的実践の基本的課題とされた。他方、発達の高次化過程を前提に、各発達段階固有の価値に注目する視点も提示された(とくに糸賀一雄の論考)。仮に高次化できなくても、その段階において個性的な育ちがあるというのである。障害児の存在・生活に関わる営みが必然的に含む他者や文化との関係の発達に注目する視点である。これは例えば、「重度児」の存在そのものが職員との共感的関係を媒介に、功利主義とは異なる新しい人間の見方=価値観の転換を担保するという独特の「社会的生産」論にも連接する。実践の中で子ども達の存在・生活のあり方を問うとともに、実践の社会的機能(社会的価値観の批判・創造)に開かれた視点であるといえる。 発達についての両視点は、制度的には前者を軸にしつつも、「論理上」両立し得るものと考えられていた。しかし、実践的には必ずしも高次化が明確に捉えられていたわけではない。生活年齢への注目等、生活の中での育ちへの関心は絶えなかった。もっともそれは、存在・生活の視点を意識したものというより、生活施設の歴史的蓄積と実態によっていた。対立的契機を含むと思われる両視点をどのように解決していくのか、少なくとも学園では解決できなかった課題が70年代「発達保障論」に引き継がれていくことになる。
|