今回の科研費の受給によって、以下の点を研究し、次のような研究成果を得た。 第1に、明治初年から明治民法の制定に至る過程において、子どもに対する権限・義務が、地域や親族、戸主の関与を排して、次第に親(父)に限定されていくことを明らかにした。それは、「尊属」や「親兄」「親族」といった明治初年の法概念の中から、<親>という概念が析出され、親子関係が<自然>の関係として理解されていく過程であった。 第2に、<成年>と<未成年>という制度の成立過程を分析した。明治9年の太政官第41号布告は、具体的な制度の裏付けのないまま、丁年を15歳から満20歳に延期した。明治民法は、未成年を「限定能力者」とし、すべての未成年者を親の保護下に置く新たな制度を確立した。 第3に、父と母の地位や役割が最も鋭く問われる離婚後の子の帰属に関する制度史を分析した。明治民法は、子の性別や身分によって子を分ける明治初年の慣習を否定し、子はすべて「家」を同じくする父の親権に帰属するものとした。だが、明治民法は同時に、親権とは別に監護を規定して、母が離婚後子を監護する道を拓いた。それは、封建的な家族制度の延長ではなく、すべての子を父に帰属させる新たな<家父長制>と乳幼児を養育する<母役割>の制度化を意味する。 第4に、母の役割の変遷を捉えるために、家政書に登場する<主婦>という言葉とその役割に関する言説の変遷を辿った。<主婦>は明治初年に翻訳家政書の中で、主に使用人に対する女主人(mistress)を意味する言葉として使われ出したが、明治20年代に家事・育児を女性の天職として意味づけることばとなった。それとともに、かつて一家の主人が取り締まるものとされた家事は、主婦が自ら率先して行なうべき労働となった。
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