1.本研究は、中学校の制度化の過程において女教員が排除されていった実態と論理を解明する鍵概念として、中等教員免許状の有無を仮説的に設定している。 2.中学校制度化と時期的に一致して登場した中等教員免許状取得者を確定するための作業から研究を始めた。免許状取得者氏名は、『官報』掲載記事と文部省『師範学校中学校高等女学校教員免許台帳抄』(1903年3月)の2つのデータがあるものの、両者にはズレや誤りがあり、その是正と同一人物の確定のための作業が必要である。その作業によって作成した「明治期中等教員免許状取得者名簿」の最初期の部分を掲載したのが、「明治期中等教員免許状の取得者について(1)」である。今後もこの調査を継続していく。さらに、一方で主要な高等教育機関の卒業者名簿を、他方で中等学校教員名簿を収集しつつある。これらと上記「明治期中等教員免許状取得者名簿」を突き合わせ、最終学歴と中等学校への採用、そして中等教員免許状との関連構造を分析する予定である。さらに東京府下の中学校に焦点をあて、より詳細に中学校の資格と採用について分析する。 3.以上の作業と平行して、中学校に採用された女教員について調査を進め、その第一報として「旧制中学校における女教諭採用の一事例-栗山津禰の場合-」を記した(中等教育史研究会『中等教育史研究』第6号、1998年4月刊行予定)。この論文では、中学校に採用された女教員についての『文部省年報』のデータの概要と中学高教諭に栗山が採用された経過と論理を解明するとともに、府当局によって不採用とされた事例も紹介している。今後も、女教員の採用・不採用についての事例研究を蓄積していく。 4.2と3を突き合わせた所に、本研究の最終目標がある。
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