島根県、広島県、鳥取県、岡山県にまたがる中国山地は、現在でも全国有数の和牛生産地であるが、昭和40年以前までは農耕牛の飼養がさかんであった。中国山地の農村生活は、牛飼養を中心にかっては展開されており、民俗形成においても牛の飼養は重要な位置を占めていた。 当年度は、島根県下の以下の地区においてフイールドワークを実施、聞き取り調査によって牛馬飼養をめぐる民俗慣行についての資料の収集につとめた。 (広瀬町)東比田 (八雲村)桑並 (仁多町)久比須、亀嵩、前布施 (横田町)大馬木 (掛合町)入間 (赤来町)小田、真木 (羽須美村)雪田 (瑞穂町)高見、八色石、臼谷、下対、市木、下亀谷 (石見町)日貫、日和、矢上 (川本町)因原 耕耘機の普及以前には、農家にとって農耕牛は不可欠であり、どの家も必ず1〜3頭飼っていた。牛は農家経営の重要な支えであり、そのため牛の安全守護への願いは強く、各地に牛馬守護神への信仰が浸透していた。馬牛神の1タイプは土着神と結びついたものであり、広瀬町から八雲村、横田町にかけては、荒神が牛の神として信仰されていた。牛の守護神として祀られた山の神もあり、大馬木の共同放牧場の山の神はこの1例である。 他方、勧請神としていわば流行神的に祀られた牛馬神もある。中国山地では、最も効験の期待されたのが牛馬神であった。東出雲では、広瀬町に鎮座する縄久利神社が牛馬神として広範囲の信仰を集めており、鳥取県西伯地方から島根県横田町、仁多町、さらに広島県比和町、高野町に及んでいる。西出雲から東石見にかけて広く信仰されているのが掛合町に鎮座する八重山神社であり、赤来町から瑞穂町、石見町、川本町にまで信仰圏は広がっている。
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