平成9年度には、金山神社と金山彦神社の全国(ただし北海道と沖縄県を除く)的な分布調査と東海地方における実態調査に力点が置かれた。前者に関して、『全国神社名鑑』(昭和52年)をもとにした。金山神社と金山彦神社の分布をみると、北は青森から南は熊本までの範囲に散在し特に関東、中部に比較的多く分布していることが確認された。しかし、山形、富山、奈良、和歌山、山口、徳島、高知、愛媛、佐賀、大分、宮崎、鹿児島の計12県にはそれらは確認されなかった。 後者に関して、岐阜市、大垣市、名古屋市、豊川市、浜松市の金山神社と金山彦神社を調査した。「社記」および聴き取りによると、これらのうちで南宮大社の御分霊をまつるのは、岐阜市と浜松市のものである。しかし岐阜市の金山神社は伊奈波神社の摂社で、鉄工業者による奉賛会に維持されているが、浜松市の場合、鍛冶町の氏神として護持されてきている。近世の絵図にもこの神社は描かれており、南宮大社の御分霊社を考察する際には、浜松城下町における職人集住を視野にいれるべきことを示唆している。しかし今日では、同社は神社庁の地区組織に組み込まれており、南宮大社との関わりは稀薄である。 名古屋市の金山神社の場合、熱田神宮との関わりが強調され、境内に残る嘉永年間の灯籠には京都、大阪などの業者が名を残している。したがって近世にすでに南宮大社とは別に広域の信仰圏を擁していたとみなされよう。豊川市の場合、明治18年には金山彦神社であったものが改称されている。他方、大垣市の金山彦神社では鞴祭りは行われていないものの。社殿の向きは南宮大社のそれに極めて近似している。このように東海地方においては、金山神社と金山彦神社の性格は多様である。以上のことを踏まえて、平成10年度には南宮大社への寄進奉納団体への聴き取り調査を主として行う予定である。
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