1. 今年度、金山神社の創設に関して新潟・長野・愛知の三県で集中的な調査を実施した。南宮大社と強く関わるのは、三条・燕・与板の同神社である。これらの市町は信濃川沿いに位置し、日本を代表する金物産地である。三条の金山神社は、鍛冶町に隣接する八幡神社の摂社として存在する。その石造物の紀年銘を見ると、金山神社の創建は大正15年を遡らない。次に燕の場合、金山神社は単立で昭和4年に創建された。同社には、昭和9年に建立された「燕工業殉職乃碑」があり、金物生産との関わりが濃厚である。南宮大社との関係も保持され、境内の入口には南宮大社宮司の揮毫による石塔が昭和52年に立っている。この金山神社は業界主導で建立されたと思われるが、氏子組織を持つ土産神として現在では機能している。与板の場合、都野神社の摂社であった金毘羅宮が、昭和52年に金山神社に転用され、南宮大社の御分霊が勧請された。 2. このように金山神社の創建は大正末以降のことである。しかも三条・燕・与板という順序は金物産地として自立した順序に対応している。金山彦に対する信仰が伝播したというよりは、自立した産地としてのアイデンティティの確立のための装置として、金山神社が建立されたと解される。その際に、古代以来の権威を持つ南宮大社との接点が求められたのである。 3. 飯田の金山神社は、明治30年にブリキ業者集団によって南宮大社から勧請された。名古屋市中区の那古野神社にある金山神社も、明治以降に創建された。近代以降の神社信仰を地場産業の盛衰との関わりで説明することが可能であるとの結論にいたった。 4. 高知には金山彦ではなく、独特の天神信仰が鍛冶に保持されている。民俗学的な地域比較研究がさらに必要とされる。今後の課題としたい。
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