平成9年度は、調査対象地域である奈良市の旧添上郡大柳生村の村落と京都市東山区祇園北側の町内への民俗調査を行った。奈良市の大柳生は、宮座と両墓制のみられる村落であるが、明神さん、八人衆、二十人衆と呼ばれる長老たちによる神祭りの方式に興味深い伝承がある地域である。京都市東山区祇園北側は、花見小路界隈と通称されており、八坂神社の門前の古くからの繁華街である。いずれも農村と都市の日本の伝統的な地域社会の典型例とみることができる。それぞれの地域において民俗誌作成のための調査を開始した。 とくに今年度は奈良市大柳生の調査に重点をおき、年中行事、人生儀礼、神事や祭礼などの調査を行った。大柳生では西垣内、東垣内、上出垣内のそれぞれで埋葬墓地を設営しており三カ所の埋葬墓地がある。それをミハカ(身墓)と呼んでいる。そして、そのミハカに石塔が建てられているのは西垣内のミハカだけで、東垣内と上出垣内のミハカには石塔はなく東垣内ではそれを構成する下出垣内、塔坂垣内、泉垣内の三垣内でそれぞれ集落の近くに石塔墓地を設営している。上出垣内ではミハカとは別に集落からみてその手前数十メートルの場所に石塔墓地が新旧二カ所設営されている。つまり、大柳生という一つの落村でありながら両墓制と単墓制との両者が並存しているのである。しかし、今回の調査により西垣内のミハカも明治前期に移転されたものであることが判明し、もともとは両墓制の形態であったことが明らかとなった。両墓制の形態を実現させている強い死穢忌避の観念と長老制を基盤とする宮座祭祀との関係を追跡している所である。
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