1.国立文書館所蔵の太政官文書「諸官進退」明治4〜12年および「明治十三年公文録 官吏進退」に含まれる任免書類を悉皆調査し、決済手続きの変遷をたどることで、武官人事権の所在を確認した。さらに文書に含まれる帷幄上奏書のデータベースを作成した。 2.1878年12月に最初の帷幄上奏による人事が発令されるまでは、将校人事はすべて太政官三職=内閣の決済を要した。しかし、それ以降は、陸軍将校に職務を課す場合には、参謀本部長と陸軍卿連署の帷幄上奏によって天皇の決済を受け、太政大臣との内閣の人事権は形式的な事例交付に限られることになった。いっぽう同じ武官人事でも将校の任免については従来同様、陸軍卿の上申にもとづいて太政大臣が天皇に上奏し、将校人事の複線化が生じた。 3.太政官文書の決済手続きの変遷からいえば、1877年8月以前は天皇と内閣は一体の関係にあり、太政官の決済から独立した天皇の決済行為そのものが存在しなかった。太政官決裁文書への天皇決裁印の押印がはじまるのは、1877年9月以降のことであった。 4.以上の事実は、なぜ参謀本部の創設=統帥権の独立が1878年の末にはじまったのかという昔からある疑問に、新たな方向から解答を考える可能性を示している。なぜなら、統帥権独立の前提条件とも言うべき「天皇の親裁」そのものが1877年9月にはじめて実現したのであり、それ以前にはその条件がなかったからである。参謀本部の創設は「天皇の親裁」が出現したことで加速された「天皇親政」をめぐる政治状況への、軍部とくに陸軍の反応、つまり陸軍の「天皇親政運動」の産物と見なすことができる。
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