本研究は、徳川秀忠・徳川家光関係文書を収集し、その集めえた文書をデータベース化することを第一の目的とし、そこから当該期の将軍権力の歴史的特質と日本近世の政治機構・組織の形成過程を明らかにすることを次なる目的とした。 まず、従来収集してきた徳川秀忠発給文書・徳川家光発給文書に加えて、未調査である東京大学史料編纂所所蔵の島津家文書、国立資料館所蔵の蜂須賀家文書、防府毛利博物館蔵の毛利家文書、土佐山内家宝物資料館蔵の山内家文書中の調査、さらに内閣文書所蔵の秀忠・家光関係文書の調査を行った。収集しえた文書は、秀忠案内書が1283点、家光案内書が814点、領知宛行状が2431点が主なものである。これらをデータベース化し、その過半を研究成果報告書に載せた。 具体的な分析としては、第一に、家光の花押を据えた文書のうち将軍就任までの文書について検討を加え、元和6年から元和9年までの家光の花押の変遷を確定し、かつ花押の変遷が年号を付さない文書の年代推定の有力な手段であることを明らかにした。その成果は、「徳川家光花押文書の研究(上)」(『京都大学文学部紀要』38号)として発表した。第二に、徳川秀忠大御所時代の領知宛行状について、その発給者の確定、文書様式を検討し、この時期の領知宛行状の発給者は、将軍家光ではなく大御所秀忠であったことを確定した。その成果は、「徳川秀忠大御所時代の領知宛行状」(『日本歴史』寄稿中)として発表予定である。
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