研究概要 |
1. 清楽曲「中山流水」は,明かに民謡「金比羅船々」の原曲であるが、さらにその原曲と思われるものが、中国・江蘇省蘇州の作業歌「挑担号子」であると推定できるほぼ確実な資料を入手した。その結果、「中山流水」の旋律は本来、進取性と持続性を確保するという目的があったことが明かになった。また、それが日本民謡「金比羅船々」にもある程度継承されていることを推定させる資料として、新聞記事と1887年に流行した替え歌「民権張れ々々」を発見することができた。これは、民謡の歴史情報化の有力な手掛かりとなるものである。 2. 沖縄民謡に関しては、その典型とされる八重山民謡に関する調査を行い、次のような成果をあげた。 (1)明清楽との関係では、八重山民謡にこれが直接流入したと判断されるケースは発見できないが、首里政府の宮廷音楽(古典芸能)の中に明清楽ないしは中国原産の曲が影響を及ぼしたことはよく知られている。その古典芸能は原則として門外不出とされていたが、八重山が政治犯の流刑地とされていたこととあいまって、秘技に属する太鼓の段もの、古典音楽の作曲および伴奏つけの技法、舞踊に関する虎の巻などが八重山に持ち込まれ首里城での音楽的蓄積が八重山民謡の作助に適用されることによって、独特の美しさと力強さをもった民謡が作られ流布されるようになったという経路を浮かび上がらせることができるようになった。(2)八重山民謡の重要な特徴は、喜舎場永恂『八重山民謡誌』(初版1924年)が指摘したように、作曲者をその末裔の伝承に差り特定することができ、かつその家族の「家譜」をしらべることにより、作曲年代を特定できることである。沖縄県立図書館八重山分館・石垣市立図書館所蔵の楽譜と家譜を調査し、民謡の成立に関する年代記を作成することが可能で、その時代の歴史事実とを突き合わすことで民謡に凝縮された歴史情報の復元も不可能でないことが感得された。
|