東邦協会の中心的存在で外交官として活躍した稲垣満次郎(1861〜1908)の思想を検討するために、彼の著作を読み進めた。著作は(1)『東方策 第壹編』(哲学書院、1891年)(2)『東方策 第弐編』(博文堂・哲学書院、1891年)(3)『東方策結論草案 上』(哲学書院、1892年)(4)『対外策 全』(博文堂、1891年)(5)『西比利亜鉄道論 完』(哲学書院、1891年)(6)『南洋長征談』(非売品、1893年)である。 明らかになった点は、明治中期(明治10年代後半から日清戦争前)の日本にあって、稲垣満次郎が極めて独創的な思想を展開したということである。明治中期はアジアの小国日本に西欧列強が圧力をかけた時期であり、その強大な力を前にして日本の独立と発展がいかにしたら可能であるかが問われた。脱亜入欧論あるいは興亜論(=アジア連帯論)はそれへの回答であったと見ることができる。前者は西欧よりスタンスをとった思想的潮流であるし、後者はアジアよりのスタンスをとったそれといえる。こうした日本を取り巻く思想状況にあって稲垣の主張は、脱亜入欧論でもなく興亜論でもない。彼は西欧・アジアを“相対的に見る"という立場を堅持した。西欧列強のアジア侵略に対して、文明を唱えながら文明に悖る行為だと批判する一方で、西欧の育んだ「国民的精神」に日本も深く学べと主張する。さらに文明の核心には道徳が必要であるという見解を示し、西欧文明を、またそれを直輸入しようとする日本の文明導入のありかたをも批判する。西欧対アジアという二分法的思考から自由な地点に立っているという点に彼の思想の独創性を見ることができるのである。その稲垣の移民論・植民論の具体的分析は来年度に行う予定である。
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