傀儡国家「満州」における五ヶ年計画を軸とした産業改革は、一種の計画経済を本国に先駆けて実践しようとしたものであり、その試みにより大量の労働力が必要とされた。主として華北(中国北部)の農村部などを補給源としたが、まもなく同地産業との競合を招き、俘虜労働なども導入するようになる。こうした旧満州における各種の試みは、その企画・やり方や反省を含め、1930年代末頃以降、相次いで本国に移植されていく。 内外のそうした連関関係についての従来の研究には、中国と旧満州における労働問題の検討が手薄であった。今回、とくに労働力移動と労務支配の実態について同研究の権威である二教授から直接報告と新資料-撫順鑛務局史料など-の提示を受け、実証的、理論的に認識を深めることができた。近衛〜東条内閣時代における社会構造の転換-日本列島自体のタコ部屋化については、主として東大所蔵の美濃部洋次関係文書に用いて、基本方針としてのスクラップ・アンド・ビルド政策、すなわち一部の特権的部門以外の産業はつぶしてそこの各種資本財と労働力を重点となる軍需産業などに配分する施策を中心に考察した。しかし、戦局の深刻化のなかで、基礎となる資源も労働力も欠乏して同政策は行き詰まり、朝鮮人や中国人の労働者や俘虜を日本国内へ強制連行し重労働させる方策を採るようになる。また、そうしたアジア人の強制連行-酷使と、それ以前本国内の土木・建築・運輸各業や鉱山などでほとんど慣用されていた監獄部屋が、親方制を軸に密接に関連していたことについても、GHQ/SCAP文書や京大経済学部所蔵文献などに依りつつ、実証的に検討した。そうした産業再編と労働力(再)配置の歴史的背景、「大東亜共栄圏」への地理的拡大についても言及はしたが、今後なお実証的、理論的な精査が必要とされる。こうした問題の厳密な検討なくして日本現代史を語ることはできない。
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