壬辰倭乱(文禄役)において、戦争開始直後から始まった日明講和交渉の経過についてに、いまだ定説があらわれない理由は、倭乱関係文書の収拾がなされていないためである。本研究は『事大文軌』という朝鮮・明間の外交文書集成であるが、これに日本側史料をすりあわせなければ、事態は見えてこない。 現在、豊臣秀吉文書の収拾は三鬼清一郎氏の目録によって年次比定も付されて、政権研究の基礎資料となっている。これに、諸大名発給文書の目録を追加することによって、おぼろげながら政権が何を志向していたのかを探る手がかりになると思われる。 すなわち、秀吉文書に添えられた側近大名の添書、在陣大名らから秀吉側近に宛てられた披露状、等の史料を加えてこそ、秀吉文書の全体像を知ることができる。 そこで、壬辰倭乱時の7年間に限ってではあるが、戦役に関わった諸大名発給文書を蒐集し、年次比定をほどこし、朝鮮側史料と重ね合わせた目録作成を試みた。もちろん日本全国各地に残る大名文書の数は、当該期に限っても、かなり多く、悉皆目録とはなりえなかった。しかし、実際に従軍した西日本大名らの文書を中心に、粗雑であるにしても、戦役のラフスケッチを描きだすことが、まずは必要なことだと思われる。
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