これまでの研究では、GHQの占領政策と関わって、戦後の一時期、同和行政の停滞ないしは後退という評価がなされていたし、また戦前の融和行政と戦後の同和事業との関係も充分に吟味、検討されてこなかった。なおかつ、本来社会権の保障に関わる政策となることからか戦前、戦後の日本の社会保障や社会事業と、同和対策との関連を考察した研究はほとんど見あたらなかった。本研究をおこなうことで、地方行政レベルでの、戦前、戦後の同和事業の連続性と不連続性の具体像を明らかにすることができたし、戦前あるいは占領下の同和対策で社会事業施策との接点を見いだすことができた。特に、近畿の地方行政のいくつかでは、戦前の融和事業を受け継ぎながらも、占領下の地方軍政部との折衝・協議の中で戦後の同和対策事業が模索され始め、社会事業としての性格を持つ施策の実施が俎上にのぼってさえいたことが明らかにできたことは大きい成果である。占領政策力が大きな転換をみせはじめる中で、社会保障も公的扶助や児童福祉等で新しい思考が導入されたにも関わらず、厚生行政は反射利益としての保障を行なうにとどまっていたし、ようやく取り組みが本格化していた国に対しての同和対策の復活を求める地方行政の動きも、社会保障、社会事業の打ち出した思想をも組み込んでの動きとはなっていなかった。地方行政での部落問題に対する特別の取り組みという枠組みは、この期にその萌芽を見い出しうるのではないか。それが後の同和対策特別措置法下の特別事業としての国の取り組みを支えるものとして機能していくことになると考えられるが、戦後の急速に進展する都市化現象の中でより多くも社会問題を抱えることになった大都市部では、社会政策としての側面を削ぎ落とした特別の同和施策はかえって大きな矛盾を抱え込むことにさえなったといえよう。
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