黄河下流域の河道付近のランドサット衛星写真を分析して見ると、以下のような状況を確認できた。 1. 黄河は黄土高原の丘陵を抜けると広大な平原を流れている。河南省洛陽市(西周・後漢・北魏・唐都城)と鄭州市、開封市(戦国魏大梁城、北宋都城)の地形の差違、つまり黄土高原と平原は明確である。黄河北岸も焦作市(山陽市)の西辺は黄土高原の丘陵地帯である。黄河は焦作北と鄭州南の丘陵に挟まれた地点から開封付近の平原を流れていく。そして現在の黄河は開封の東で極端に流れを変え北流している。 2. 前602年以前の黄河河道は伝説上の禹の治水の時代のものと考えられる。萬貢に見える大陸沢は戦国以降の巨鹿沢であり、戦国趙国の沙丘苑の場所、秦始皇帝が最後の巡行で死去した場所でもある。ランドサットの画像ではこの付近に明らかに土壌の異なる黒い区域を確認できる。黄河の河水の遊水池であれば土砂が堆積し、水が無くなった後でも周辺の土壌とは異なった土壌を残しているはずである。鄭州北の黄河北岸にも、土壌に大きな渦の広がりが見られ、もっとも古い黄河の河道の痕跡であると思われる。 3. 前602年以降の春秋戦国・秦・前漢の河道は、滑県北から濮陽にかけて白い大きな広がりとして見える。濮陽は前漢武帝期に決壊した箇所であり、河流は北上した。これらの痕跡と考えられる。 以上の確認した点は、ランドサット衛星のデジタルデータを白黒の濃淡に置き換え、地球表面の歪みを補正した写真から読みとった結果である。細部の分析は、さらにデジタルデータ自体を画像処理して行わなければならない。日本で打ち上げた地表観測衛星JERS-1(ふよう1号)はランドサットの解像度約30メートルよりも高く、約17メートルまで分析可能であるので、より詳細な黄河下流地域の河道変遷を追っていく必要がある。
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