本研究は、都市の生成発展のなかで水利問題がどのような関わりをもってきたかについて考察し類型化を試みようとするものである。対象の都市は、地域的広がり、都市性格等を勘案して寧波、揚州、成都、武漢及び開封をとりあげた。 まず、設備備品費を用いて、当該地域の府志、県志等の地方志及び地図・辞典類を購入した。ついで、旅費を用いて入手不可能な文献・史料について、国会図書館、東洋文庫、東京大学東洋文化研究所等に出向いて史料蒐集を行った。これらを利用して考察を重ね、研究の発展に合わせて、国内外の学会・研究会等で報告して、広く研究者のコメントを得た上で、研究成果を学会誌等に発表してきた。概要は次のとおりである。 寧波は、唐代以降対外交渉の窓口として発展してきたが、南宋に入って杭州に都が遷ると外国交易船として重要性は一層高まり、它山堰を設備し水源として、内陸水運路及び城内水利が完備されるとともに、潅漑水利も東銭湖等を水源として周到に行われた。 揚州は、大運河の完成によって拠点都市となったが、宋代になると長江との合流地点に土砂が堆積し、大型船が城内を貫通しなくなるとともにその役割を長江沿岸の真州に取って代わられることになった。 成都は、都江堰によって水利管理が万全となり、防洪、水運、潅漑、飲料水、城内水利が円滑に行われたことが、内陸部における大都市の繁栄を可能にした。 武漢は、長江最大の支流である漢水との交点に当り、交通の溶街として早くから開発されてきたが、その上流部が水害頻発地域で荊江堤防の構築など早くから防災対策がとされてきた。 都市水利で特質すべきことは、宋代以降、水利管理が民間の手に委ねられる流れの中にあっても、都市の性格、所在地を問わず、地方官が直接的に官掌していたことである。
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