今年度は、昨年度とりかかった1934年の「二分制限法」に対する現地日系社会および日本の当局者・日本社会一般の反応をまとめることと、ヴァルガス政権の国民統合政策の中での黒人コミュニティの対応を分析することを目標として研究活動を開始した。しかし、5月初めから約3週間の病気入院を余儀なくされたため、当初の計画をやや変更し、1920年代半ばから1930年代全般にいたる期間の、ブラジルにおける日本移民をめぐる論争と現地日系社会・日本における反響についての徹底的な資料収集を当面の課題とすることにした。その最大の成果は、11月23〜25日にかけて、神戸大学経済経営研究所所蔵「南米文庫」の調査によって、おそらく神戸日伯協会のものと思われる約1千点にも及ぶ、日本側・ブラジル側の各種新聞記事の未整理の切抜きを発掘、詳細な索引を作成して検討作業に入ったことである。また12月には東京農業大学図書館所蔵「東亜関係資料」において、『植民』、『海外之日本』等の移植民関係の商業誌を閲覧し、ブラジル移民をめぐる論調を調査した。これらの調査を進める中で、ブラジルの日系移民社会やそのアイデンティティの形成が、ブラジル側の国民統合政策と日本の移民政策の狭間で進行したことの重要性を痛感した。一方、黒人コミュニティに関連しては、「ブラジル黒人戦線」の元書記長フランシスコ・ルクレシオ氏とのインタビューのテープを起しの他、最近のラテンアメリカにおける人種観念の変容と諸エスニック・マイノリティ運動の動向について論考をまとめた。そこでは、とくに最近の新しい傾向として、ブラジルをはじめラテンアメリカで公式に多文化主義政策を採用する国々が登場していることを指摘し、国民の間に引かれていた人種的・民族的境界線の変容を論じたが、これを通して本研究の主目的である1930年代の状況の歴史的性格をいっそう明確にすることができた。来年度は、これらの資料を駆使して、研究のとりまとめにあたりたい。
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