本研究は、ブラジルという一見、人種的・民族的に寛容な社会において、その「人種的・民族的寛容性」の内容とそれを根拠づける、すなわち正当化する論理の歴史的背景を明らかにする一方、実際に存在する人種的・民族的マイノリティの自己イメージや権利獲得運動(あるいはその脆弱性や欠如)を明らかにしようとした。そのため、とくにアフリカ系人と日本人移民を取り上げ、(1)移民政策と労働政策におけるナショナリズムの理念と現実 (2)黒人および日系人のマイノリティ意識の形成と組織化 (3)人種諸理論の吸収・消化と「混血社会」論の登場、という3つの具体的テーマを掲げた。しかしながら、こうした問題設定の仕方がやや欲張りすぎであったことを率直に認めなければならない。与えられた3年間の研究期間の中で、論文の形にまとめることができたのは、(2)と(3)の一部であった。すなわち、1930年代の「混血社会」論が登場する前提としての、ブラジル社会における人種(主義)思想の受容と浸透の実態を、奴隷制廃止運動という19世紀末の社会改革運動と、20世紀初頭の解放民の国民への統合のあり方をめぐる議論を通して明らかにすることができた。一方、1934年憲法に盛られた日本人移民排斥条項に代表される、1930年代のヴァルガス政権の民族主義=国民統合政策が、人権的・民族的に寛容であるとするブラジル社会のイメージをめぐって、現地の日本人・日系人と日本の政府および利害関係者との間に認識のずれを生むとともに、エスニック・マイノリティとしての日系社会が形成される重要な契機になったとの論点を導き出すことができた。今後は、(1)を含めて、今回収集した史料を活用し、残された課題について研究を深めてゆくことになろう。
|