昨年に引き続き第5番弁論の研究を進め、5月の日本西洋史学会で「前5世紀アテナイにおける外人と裁判-アンティフォン第5番弁論解読試論-」と題して研究発表を行った。前半の碑文の新しい読みの提唱と、そこから読みとれる当時のミュティレネの実態の想像については、その場ですぐに皆さんの賛同を得られたとは思われないが、後半の外人と裁判との一般的関係を考える中でこの弁論の位置を測定してみようとする試みは、好評をもって受け容れられたように思う。その後この研究は、若干書き改めて「史学雑誌」に投稿し、いくらかの修正を経て、この4月に公刊されることとなっている。 ついで、夏から秋にかけては、ギリシア宗教の特性を人間類型の点から明らかにしようとする試みに着手した。これは97年韓国で行われたシンポジウムにおいて英語で発表したものであるが、その時の討論の結果をも考慮して議論を詳しくし、日本語化した。これによって、アンティフォンの時代の背景にあった思想的基盤をいくらか明らかにし得たと考える。 また、冬にはアンティフォンの各弁論の年代についての問題に取り組んだ。この研究の起点をなすのは第6番弁論に現れる暦への言及で、ここから推定される評議会暦と祭事暦との対応のあり方が問題となってくる。そこで基礎となるデータを与えれば、自動的に二つの暦の対応を描いて行くコンピューターソフトを何度かの試行錯誤の末、完成させた。そして、データを様々に変化されて状況を探り、今までに提唱されている年以外に可能な年のあることを指摘した。また、第5番に関しては、文体からの研究は2、3年の違いを言い得ないことを示し、その内容の研究から可能な年代の範囲を示した。
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