本年度は、第一帝政期の復習をしたのち、ライン連邦加盟国のバイエルン、ベルク大公国、ヴェストファリア王国3国に絞り、ナポレオン体制に協力する官僚がどのように募られ制度としてどこまで整備されたか、その統治・行政とりわけ民法典の導入とそれに先立つ隷農廃止がいかに処理されたか検討した。その結果、バイエルンではナポレオンの「背面援護」を受けて、モントゲラスら啓蒙閣僚との官僚層による同国自前の改革を推進する上で一定の効果をもたらした。身分制議会の停会などがその端的な例である。民法典導入のためにこの国の法学者グナ-が、連邦全体に向け立法促進の委員会を提唱し、その線に沿ってアンセルム・フォイエルバッハの活動があった。ただ、政府の同調は得られなかった。ベルク、ヴェストファーレンでは、帝国全体の統治・監督にあたるレデラ-らフランス人の高級官僚のもとで、フランス人と前プロイセン人の両官僚たちの共同行政の跡がたどれる。司法大臣シメオン(仏)と、ビューロ-、ヴォルフラート(以上ヴェストファーレン)の、またブ-ニョ(仏)とメルフェルト伯(ベルク在地貴族官僚)らの賦役(労役)をめぐる理解の相違-プロイセン人官僚は保有地分与にともなう代償行為として農民の労役義務を了解-を明らかにすることができ、ここから領主地代の徴収やひいては法典導入をめぐる姿勢の違い、およびフランス側が隷農制廃止に引張り得ない事情を明らかにした。 次年度はイタリアに目を向け、官僚制度の形成、とその動向、ドイツと比較した場合の法典の実施状況を考究することにしている。なお、ナポレオンの血縁者がドイツ、イタリアで果たした象徴的役割も考察に加えたい。
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