9年度は、ナポレオン時代重商主義時代のヨーロッパ支配という構図を踏まえ、その中で、フランス民法典の導入を巡るライン連邦諸国家の対応と、構成国の一つである西北ドイツの人工国家ウエストファリア王国の法典実施及び隷農制廃止のありかたを、フランス高官・前プロイセン人官僚の間の「共同統治」という観点から研究し始めた。その結果、民法典導入には領邦国家の枠を越えた学者らの積極的な活動がみられるが、領邦国家政府には、それを抑制する動きのあることが明らかになった。上記王国での前プロイセン人官僚は、表面的にフランス統治に協力しながら、財政ナショナリズムを秘め、ナポレオンの帝政貴族への仏直轄地贈与政策には抵抗したことがわかった。10年度は、領主の賦役・譲与地地代・臨時貢租の廃止への仏・普官僚の態度をベルク大公国も併せて調べた。またナポレオン皇帝の儀礼・象徴のも論及し、一族支配や諸侯との擬似封建的関係のもつ意味を考察した。大公国の方が王国より皇帝代理により、在地官僚を含め強く指揮していたことが確認できた。11年度は官僚群の危機認識を比較して論じるとともにその差異をタイプ分けした(11年度実績報告書参照)。さらに、イタリア共和国(1802-05年)でのフランスによる統治を、ドイツとの比較で考察した。その結果、西北ドイツではナポレオン民法典は馴染みない性質の民法であり、そのままの導入は難しく、地役権など賦役廃止を阻む口実に援用されたりしたが、これに比し、北イタリアでは、民法典のかなり速やかな適用がみられたが、それは18世紀後半にベッカリーアやヴェッリなど法学者による法思想の刷新、法典編集運動が始まっていたことが背景にあったことが判明した。
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