研究概要 |
ハンディンドン州にあるラムゼイ修道院 Ramsey Abbeyの所領には,1066年のノルマン征服後にかなりの数のフランス人系騎士が入植した.修道院長は,かれらに土地を与える代りに,当時国王から教会に賦課されていた軍役を負担させた.従来の定説は,この修道院長の土地の授与と騎士の軍役負担にイングランドにおける封建制の起源をみてきた.しかしこれは,封建制の起源を議論する際には有効な視角であっても,ノルマン征服とフランス人系騎士のイングランドヘの定住によって,地域社会がどのような衝撃を被り,そのなかからどのようにして新しい社会関係を構築していったかについてはなにも説明しないのである. 11・12世紀のヨーロッパでは,俗人の貴族や騎士たちが,死後の魂の救済を念じて修道院と兄弟盟約(フラタニティFraternity)の契りを結んだ.かれらは,土地や十分の一税を修道院に寄進し,その代わりに修道院の墓に埋葬してもらったり,死後の周年祈祷を執り行ってもらうことを約束したのである.この兄弟盟約については膨大な研究史があるが,英国の歴史学界では十分な研究がなされてこなかった. 本研究は,ラムゼイ修道院の史料集から兄弟盟約の事例を集め,その分析をおこない,修道院を結集の核として,同じ墓地に眠ることや同じ周年祈祷を希望したフランス人やイギリス人の間に新しい関係が生まれ,地域的連帯意識が芽生えたことを明かにした. 本研究は,英国歴史学界の研究史的空白を埋めるとともに,異文化接触による地域社会の再編という,それ自体超歴史的でしかも現代日本が直面している課題とも通底する問題にひとつの事例を提供した.
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