10世紀から12世紀にかけて祈りの執成しの施設としての修道院のフラタニティがヨーロッパの諸々の社会に大きな影響力を与えた。修道士たちは、祈りを通してフラタニティのメンバーの魂の救済を行った。イングランドにおいてはこのフラタニティの研究は等閑に付されてきた。人々との修道院とのこの個別契約を通した結合関係が、どのくらい、当時進行していた地域社会の再編成と関わり合いを持っていたのであろうか。、本研究では、ラムゼイ修道院のフラタニティの構成員を分析し、彼らのネイションと地域社会での身分、そして騎士が寄進した土地の性格を分析した。この二つの分析を通して、修道院を中心とした地域における社会的結合の実相に接近することができた。 俗人の修道士たちのフラタニティヘの参加と同時並行的に封土の授与が行われた。フラタニティ関係を通して結ばれる霊的な紐帯と封土の譲渡を通じて結ばれた修道院長と臣下の個人的紐帯の間の密接な関係があった。 ラムゼイ修道院のフラタニティへ構成員は貴王国の貴族、地域的な中クラスの貴族、シェリフの家系や地域の富裕層、そしてイギリス系の住民というように幅広い社会階層からなっていた。またロンドンに土地をもつ人物もいたし、地域の聖職者や教区ギルドも加わっていた。 フラタニテイの内容は、贈与者の、贈与物や身分や権力によって異なっていたが、世俗的紐帯と霊的な紐帯、換言すれば生者のための紐帯と死者のための紐帯がフラタニテイ契約によって結ばれた。この「結婚」はラムゼイ修道院の封建制的結合に大きな貢献をしたと思われる。封建制においては、主従関係は縦の結びつきである。それにも関わらず、祈りと埋葬を共有する感覚は地域社会に生きるフラタニテイのメンバーの間に、統合と共同の観念を与えたのである。
|