研究概要 |
雇用形態の多様化は、こんにちの日本が直面している現状のひとつであり、経済状態は多くの企業の余裕を奪い、終身雇用制度は今や風前の灯であるかのように報じられる。反面、この変化を経済動向の推移のみに還元して納得することには違和感もある。19世紀末のロンドン港を対象とした本研究の関心は直接的に上記の現状認識と結ぶ付いているわけではないが、仕事への距離の置き方を巡る働く人々の意識が問われなければならないという一点に限れば、両者にある程度の共通項も見出せる。 本研究では、特に以下の観点から、ロンドン港における雇用問題の検討を行った。第一に、仕事の「場」を取り巻く状況がいかに形成されたかである。ロンドン港では、数多くのドックが18世紀末から特権を与えられて建設された。そこにかかわった関係諸利害の対抗関係は、そのまま19世紀後半まで持ちこまれ,特有の雇用環境を形成することになった。これがロンドン港における労働者組織の形勢や労使関係のあり方に、どのように反映されたのかを検討した。 第二に、仕事の「場」を巡る権力構造がいかに形成されたかである。特にここでは、特殊な雇用関係の下で展開された労働者組織形成の試みについて取り上げた。イギリスの労働組合は基本的に職能を軸に形成されたものとして理解されているが、港湾のような非熟練職種の場合、旧来の組織編成が原理的に不可能であった。したがって、従来の組織編成原理とはまったく異なる理念を導入して初めて効果的な組織形成が可能になるのであり、一般に「新組合主義」と呼ばれる組織編成原理が19世紀末のイギリス港湾を支配したと考えられてきが。しかしながら、本研究ではこうした図式的な理解の限界を明確にしたうえで、表層に現れたこの原理以外に、「場」の持つ特有の力学がもたらした労働者の「過去」に対する過剰な思い入れの存在を重視し、熟練に依存できない労働者の労働観の一端を明らかにした。
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