1993年9月、ドイツとロシアの侵入をうけたポーランド政府はル-マニアに亡命し、さらにフランスに移動して本格的な亡命政府の組織をつくる。本年度のテーマは、この亡命の具体的な経緯と、ポーランド人の国外流出の主要な流れの一つとなったル-マニアの関係についてであった。 開戦とともにル-マニア側は中立を宣言し、一旦は受け入れたポーランド人の出国を最後まで認めなかった。それにもかかわらず、ポーランド亡命政府はどのようにしてフランスに樹立され得たのか。 研究の課程で明らかになったことは以下の諸点である。それは、すでにル-マニアの国境を越える直前からポーランド政府の内部において強力な反対派が存在していたこと。この反対派は自由にル-マニアからの出国を認められ、やがてフランスにおいて別個のポーランド政府及び軍の組織化にむかうこと。ル-マニア内の亡命政府は出国を認められないままに消滅したが、両勢力の対立のみはそれ以後も持続されていくこと、等々である。 この事件の背景には、明らかにイギリス及びフランスの意図がみうけられる。来年度は西側列強のヨーロッパ再建計画と、その中におけるポーランド亡命政府内部の対立の関係について明らかにしていく予定である。
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