本年度は前四百七十年代に生じたパウサニアス事件を研究した。 パウサニアス事件について:トゥキュディデスなど古代の文献史料は何れもスパルタの王族でスパルタ王の摂政、ギリシア連合軍の総司令官であったパウサニアスが独裁者の地位を得ようとしてペルシア王と内通したことがパウサニアス事件の本質であるとし、その為にスパルタはペルシアとの戦争指導権を失いアテナイがそれを継承したとする。しかし、パウサニアスの裏切りの確実な証拠とされるペルシア王との往復書簡がイオニア方言で記されているだけでなく、スパルタ人の手になるものであるなら絶対にあり得ないような誤りが散見されることから、事件そのものが虚構に過ぎない。この事件に関して従来考えられていたようなスパルタとアテナイとの戦争指導権をめぐる権力闘争を認めることは出来ず、奇妙なことではあるがスパルタとアテナイの間に或種の協力関係が認められる。それ故、パウサニアス事件とはパウサニアスがスパルタの伝統的な体制にとって脅威となることを恐れた保守派が海上における指導権を追求するアテナイの親スパルタ派と提携してパウサニアスを追い落とした冤罪事件に過ぎない。以上の考察から古典期ギリシア・ポリス世界における外交に対する党派の構造的問題の一端を解明した。 パウサニアス事件については「パウサニアス事件」という題で『立命館文学』第558号(1999年2月)に論文として掲載した。
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