19世紀ドイツにおける国家の社会政策は、封建的結合が解体した後の、新たな人びとの結びつきの構築をめざした。その際にもち出されたのが、伝統的社会秩序の根幹をなしたゲマインシャフト原理であった。それは、一口で言えば、血縁や仲間・近隣関係に見られた人びとの有機的結びつきのことである。 この伝統的結合原理への回帰とその再生が、19世紀の工業社会の精神的支えとして選ばれた理由は2つある。ひとつは社会経済的条件の結果にかかわる。ドイツには、比較的に工業労働者が多く、しかも彼らは数少ない工業中心地帯に集中した結果、固有の労働者ミリュー(社会分化圏)の形成が容易であった。その際にドイツには、労働者を社会主義労働運動の方向にではなく、国家に結びつける最も現実的なオールタナティヴとしてゲマインシャフト原理への回帰とその再生しか存在しなかったのである。 もうひとつは、職業という社会文化要因である。19世紀になると職業は身分制時代に固有の「名誉」という文化的要因を失いながらも、しかしなお人びとの生活形成原理として社会生活の中心に位置し続けた。そのことをわれわれは、廃疾・高齢者保険における廃疾保険の優先に、更には、疾病保険のなかにあって手工業職人の扶助の伝統に根ざす任意共済金庫に見い出すことができる。国家の社会政策は、職業や地域のなかで存在し続ける本来の文化に結びつくことによって、はじめて可能だったのである。 19世紀前半のパウペリスムス(社会の貧困)と1848年革命という激動の時代を体験し、競争と業績主義がものを言う時代になって、ドイツは再び自らへと回帰してその文化を再生させる道を進んだのである。
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