1880年代に誕生した社会保険は、身分やコルポラティオーンに替わる新たな結合を作り出そうとする試みであった。産業化は国内移住を促進し、伝統的な結合から解き放たれた労働者には新たな結合が要請された。社会保守主義者と社会自由主義者は、ゲマインシャフト秩序の構築によってこれに応えようとした。社会保守主義者のゲマインシャフト(共同)秩序は支配するものとされる者との関係を内包するものであるが、この関係の構築に向けて二つのアプローチの仕方が対立した。ひとつは共同を有機的結合の視点から捉えて、これを地域によって担保しようとする「地域共同」型である。もうひとつは共同を国家によって作り出そうとする「国家共同」型である。 後者はビスマルク政府が主張したもので、その発想の源はインターナショナルと戦う単位として国家を位置づけ、国家の凝集力を高める手段として社会保険を捉えたところにある。前者の考えは保守主義者や社会カトリシズムに見出すことができ、反中央集権と自治を特徴とした。社会保険は「国家共同」型と「地域共同」型の妥協の産物であり、自治は国家のなかで捉え直され、保険担当機関を形成する基礎となった。 社会自由主義者のゲマインシャフト(協同)秩序は、自治を基礎に労働者の自立を促す「自立協同」型として捉えられる。そして、「自立協同」型は、体制内で使用者と労働者の力のバランスを作り出そうとした。社会保険の実践が示したのは、「自立協同」型の侵攻による社会保守主義者の共同性優位の喪失である。自治は社会保守主義者と社会自由主義者を社会保険に結集して共同から協同への転換を促し、労働者を国民に鋳直す機能を果たすのであって、国民国家は自治の伝統を生かしながら形成されたのである。
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