1. 飛鳥・難波・大津・藤原・平城等の宮都、中央寺院における建築・条坊遺構を中心に、尺度関係資料を収集し分析を行った。その結果、6世紀末に宮殿や寺院の建設等に高麗尺が使用され始め、7世紀には高麗尺使用が中心であったことを明確にする共に唐尺も7世紀中頃の難波宮、飛鳥稲淵宮殿跡、水落遺跡、山田寺等の建設、墓誌や石碑等の製作に導入されていたことを明確にした。しかし、7世紀中頃までの高麗尺の実長には偏差が大きく、かつ一施設において高麗尺と唐尺の併用も認められ、唐尺にも1尺が約30.4cmの尺と、約29.3cmの尺の二種があるなど、統一性の乏しい尺度使用の実態を明らかにした。天智・天武天皇時代に至り1尺が約29.4cmの唐尺とその1.2倍の高麗尺との度地尺、常用尺としての使用が顕著になり、尺度制の統一が進展する。孝徳〜斉明天皇時代と天智・天武天皇時代とに度量衡制上の画期があったことは明らかである。大宝令による度量衡制の整備・統一は唐制を導入し明文化したものだが、7世紀後半の宮都においてそれがすでに実態化されていたことを明らかにしたのは大きな成果である。また、和同開珎・富本銭について度量衡的調査、分析を行った結果、日本における鋳貨制度は中国のそれを忠実に採用したものであり、これは天智・天武天皇時代における度量衡の統一と相関することを明らかにした。7世紀後半は律令制的中央集権支配体制が大きく展開する時期であり、尺度統一の進展もこうした政治改革・情勢と相関するものである。 2. 地方官衛・寺院等における度量衡関係資料を収集し分析を進めた。その結果、各地の評・郡衛、寺院等の建設において7世紀後半に唐尺使用の開始を確認すると共に、その本格的使用と実長の画一化は8世紀後半における国衛の整備とともに始まり、それが律令制的中央集権国家の成立、展開過程と相関する実態を明らかにした。
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