1997年度〜99年度の調査の結果、四斗蒔遺跡とお旗塚古墳から土師器と鉄製品が出土した。そして、お旗塚古墳は径20mの墳丘を持つ円墳で、二重の堀が墳丘を巡っていることが明らかになった。そのお旗塚古墳の二重の堀は内堀が円で、外堀が方というもので、他に管見には触れない。それらお旗塚古墳の堀の断面形は四斗蒔遺跡のものに酷似している。 濠や竪穴から出土した土師器の編年的検討から、四斗蒔遺跡1号遺構の居館は古墳時代前期の初め、3世紀の半ばに廃絶したと推定される。 一方、お旗塚古墳も3世紀中頃に築造されたと考えられる。また、お旗塚古墳と四斗蒔遺跡1号遺構は同時期で同大である。 以上から、お旗塚古墳は地域首長墓の一つであった。お旗塚古墳と四斗蒔遺跡1号遺構とは互いに密接な関係があったと推考される。お旗塚古墳に葬られた人物は四斗蒔遺跡1号遺構に直接関わっていたと考えられる。 四斗蒔遺跡に関する炭化材や種子の同定、植物珪酸体分析によって、われわれは当時の古環境を復元することができた。 他方、この報告では古墳時代の開始年代に関する重要なデータを提供した。 四斗蒔遺跡2号遺構の内部の発掘調査が近い将来遂行されることを期待している。四斗蒔遺跡1号遺構、2号遺構、そしてお旗塚古墳の細密な関係が、将来の調査で明らかになるであろう。
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