平成9年度は日本古来における弥生時代〜古墳時代の鉄鍛冶関係について、考古学的実地調査と文献による調査を行った。同時に刀工の工房において遺跡出土の鉄滓を検討し、古代の鍛冶技術を復元する形の鍛冶実験を行った。平成10年度は前年と同様に、古墳時代以降〜奈良・平安時代の遺跡、遺物の実地調査及び文献史料の検討を行った。鍛冶実験については鉄力製作とそれに伴う技法の検討を実施した。平成11年度は日本に関係した、東アジア世界の鍛冶の実態を中国・朝鮮半島の具体例を主に文献で検討した。鍛冶実験では鍛冶の原料・鉄〓を製作した。 以上の3年次に亘る研究の成果として、まず鍛冶が導入される弥生時代には最初は鉄滓を生成するほどの高温が維持できず、ほとんど鉄滓がみられない。しかし、北部九州の地域王権を支える囲いこまれた鍛冶も存在したことが、鉄剣や鉄戈の生産から想定できる。古墳時代になると、朝鮮半島からの豊富な鉄素材の流入にあわせて、高温鍛冶が関東地方まで拡散し、地域首長の要求に応えることが可能となった。この頃の椀形鉄滓は羽口に付着することが多いが、中期になる頃には、こうした例がなくなってくる。そしてさらに鉄滓も急激に大型化する。これは鍛冶技術が完成された形で導入されたのでなく、試行錯誤の段階があったことを物語っている。後期になると、製鉄が開始されるが、この工程に伴って還元鉄を鉄素材に加工する段階が加わる。このことも鉄滓が大型化、重量の増加によって確認でき、精錬鍛冶が鍛冶工房に必須の技術として普遍化することも分かった。このことは、鉄の消費遺跡といえる後期の群集積に伴われる鉄器類の多様さからも推察できる。こうした古代日本における鍛冶技術の系譜は中国大陸、楽浪郡、南部朝鮮、日本(北部九州)という鍛冶技術の伝播によると確認できた。奈良・平安時代になると、我国固有の鍛冶技術が体系化され、現在の刀工のもつ鍛冶技術として完成する。歴史時代の文献資料は平城宮跡等出土の木簡にみえる金属関係のデータを収集した。これまでにないデータだけにこの方面の研究に大いに寄与することが期待できる。
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