(1)弥生土器の焼成関連資料の調査を継続した。(a)土器焼成施設の壁体と限定できる焼成粘土塊は、弥生時代前期には厚さが2cm以下であるが、出土状況から弥生時代中期の土器焼成施設の壁体と限定できる焼成粘土塊は、佐賀県大久保遺跡例が示すように、厚く焼き締まっている。焼成施設の構造や焼成方法の変遷を示唆しており、焼成遺構の検出状況を含めた検討を行った。(b)焼成施設の構造や焼成方法が違っていても、焼成剥離土器片は土器焼成の場を限定できる資料である。ただし、甕の器種では、煮炊きなどによる2次的に火熱を受けた結果、器面が剥離したり弾ける場合がある。そこで、煮炊きなどの2次的な火熱によるものと、土器焼成時に生じた剥離痕跡と剥離片を、実験および出土土器で比較し検討し、剥離面の形状や厚さなどに違いが認められ、出土土器でも峻別できることを確認した。 (2)佐賀県吉野ヶ里遺跡・愛媛県文京遺跡・愛知県朝日遺跡などで、集落構造と土器焼成の場の時間的変遷を検討を行った。とくに、愛知県朝日遺跡95・96年度調査区では、弥生時代前期〜中期末葉の遺構出土土器の中で、中期中葉〜後葉には焼成剥離土器片は出土していない。同じ集落域でも、時期ごとに土器生産や供給の様態に変遷があり、その変遷の画期は地域によって異なることが明らかになってきた。 (3)資料調査の過程で、成形途中の土器が、竪穴式住居が焼失した際にたまたま焼成された例を大阪府雁屋遺跡で確認した。その場合、成形される器種が限定されており、成形作業における分業を想定する必要が生じてきた。また、大分県下郡遺跡に代表される東部九州や愛知県朝日遺跡などの東海西部では、弥生時代中期に他地域から土器の製作技術の影響が想定されている。こうした影響が、技術手法のレベルのものなのか、あるいは土器の生産システムひいては供給の様態をも変化させているのか、土器焼成関連資料とあわせて比較検討を行った。
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