本研究では、土器を焼成する際に生じる残滓を分析対象として、それらが集落遺跡で示す出土状況・出土分布から、弥生土器の生産と供給の様態を探ろうと試みた。 分析対象とした土器焼成残滓とは、焼成方法とも関わる焼成粘土塊B種とした喜志遺跡や一ノロ遺跡で確認できた厚さが2cm以下と薄く、薄い割りに表裏面の火熱の受け具合いが極端に異なり、片側の面がほとんど焼き締まってない泥土が焼き締まった資料である。また、焼成時に弾け飛んだ焼成剥離痕をもつ土器(焼成剥離痕をもつ土器)、その剥離した破片(焼成剥離土器片)、焼成途中に器体が割れて焼き上がりの色調が著しく異なる破片の接合例(焼成時破損土器)を検討の材料として採り上げた。 こうした土器焼成関連遺物の集落遺跡で確認を取るとともに、集落の変遷動向の中で検討を進めた。弥生時代前期には、土器の生産の単位は、一つの集落全体ではなく、それを構成する限られた住居群である。こうした土器の生産単位は、弥生時代中期後葉〜末に西日本各地で大規模集落が一斉に登場するとともに、大きく変革される。集落内に工房区域が用意され、土器の集中生産へと変化する。この生産の変革を押し進める要因となったのは、弥生時代前期末に登場する集落全域を環壕や柵列で囲み内部を整然と区画するC類型とした住居群の登場である。これは、2×2kmほどに展開する遺跡群内部の土器生産と供給の一元化・集約化を押し進める。そうした下地があって、弥生時代中期後葉〜末の変革が生じたと言える。また、集落の変遷過程が異なる中部日本では、弥生時代前期には小規模で一元的な土器の生産と供給が考えられ、中期後葉には集落の分散化にともない生産自体も分散化する。西日本とは異なる土器の生産と供給の様態が把握できた。
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