今年度は、(1)昨年度実施した新潟県安田町山ノ下遺跡試掘調査の資料整理及び比較資料の収集・検討と、(2)同町大曲遺跡1989年発掘資料の復原・検討作業を行った。 (1)は資料数は限られるが、土器と石器組成からみて生活址であり、土器細部の特徴も大曲再葬墓遺跡と一致することから、その造営母集落と判断できる。弥生時代の壺棺再葬墓に伴う生活址の検出例は、群馬県沖II遺跡と栃木県戸木内遺跡の2遺跡があるが、再葬墓と生活址とを結びつけて論議されてはいない。石器の接合関係は確認できないが、粗質の流紋岩を素材とする剥片がともに存在することから、生活址から再葬墓造営までの過程が追跡できる格好の資料である。また今年度は、同種の性格とみられる遺跡例を収集し、大曲遺跡周辺の山ノ下・小山崎・横峰A遺跡、福島県鳥内遺跡周辺の上森屋壇・源平C・背戸・七郎内C遺跡など、大形の再葬墓遺跡の周辺にある同時代遺跡はいずれも小規模な生活址であることが確認できた。このことは、壺棺再葬墓造営集団が初期稲作民であるにもかかわらず、頻繁な移動生活をしていることを示しており、従来の東日本初期弥生時代の理解を軌道修正する必要が生じることとなろう。 (2)については、4号墓資料の復原をほぼ完了し、2・3・5号墓資料はなお復原作業を続行中である。4号墓資料復原により、新潟在地土器(未命名型式)・北陸系土器(プレ小松式)・中部高地系土器(仮称松節式)・東北南部系土器(今和泉式)の4型式の共存が確認され、東日本弥生中期前半の広域編年策定の重要基準資料であることが確実となった。また漆を膠着剤として用いたり、穿孔-綴じ合わせにより破損した土器を補修する事実も確認され、再葬墓造営過程を復原する資料となった。
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