本研究では、弥生時代の東日本を特徴づける墓制である壺棺再葬墓が造営される過程を追究するのが目的である。同種の研究は従来もあったが、それはもっぱら再葬墓自体に残された諸痕跡から再葬行為の過程を遡って復原するものであった。本研究の独自性は、そうした研究も一方では採用しながらも、再葬墓を営んだ集団の生活の場とのつき合わせから再葬墓造営の全体像を捉えようとする点にある。 研究の方法は、新潟県北蒲原郡安田町にある大曲・山ノ下・横峰A・六野瀬の4遺跡を取り上げ、大曲遺跡で再葬墓自体の検討をし、隣接する山ノ下遺跡の発掘によって生活遺跡であることを定め、そのうえで再葬墓と生活遺跡の性格とを合わせもつ六野瀬遺跡の事例を参考としつつ、剥片剥離作業を鍵として両遺跡を結びつけたことを試みた。その結果、 (1).大曲遺跡の再葬墓を検討した結果、土器の使用痕跡から再葬墓造営過程の一部が復原できること、また再葬墓造営過程に剥片剥離作業が伴うことが確認できた。 (2).山ノ下遺跡の発掘によって、大曲遺跡と同時期の生活遺跡で、両者が墓と集落という一対となる関係の遺跡であることが判明した。 (3).再葬墓遺跡で、しかも3種の遺物集中出土ブロックが検出された六野瀬遺跡のデータにより、大曲遺跡と山ノ下遺跡とを結び付けることが可能であることがつかめた。つまり生活遺跡での剥片剥離作業から再葬墓での剥片を用いた儀礼までの一連の過程を復原することで再葬墓遺跡と集落遺跡とを一括して理解することが可能となる見通しを得た。 今後の課題としては、剥片剥離作業自体をより明確にすることで再葬行為の過程をより具体的に復原することと、集落遺跡自体の分析を進めることが必要であると考える。
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