今年度は、7〜10世紀代の豪族居宅関係の遺跡、すなわち郡司層あるいは富豪層や首長・有力者層の居宅との関係が論じられている遺跡の資料収集と、考古学サイドからの既往の豪族居宅研究の整理をおこなった。その結果、これまでに、約200例の遺跡資料を収集した。倉庫群のあり方に焦点をあわせてこれらの居宅関係遺跡を分析した結果、8世紀初頭以降、畿内の首長居宅では倉庫群が居宅から無くなるという変化が生じるとされてきたのに対して、畿内を含め8世紀代以降も倉庫を伴う居宅例がかなり認められることが判明した。倉庫を伴なう例を取り上げると、棟数の点では、1〜2棟の総柱式高床倉庫を伴うもの、4〜5・6棟の倉庫群を伴うものとに大別できる。また、居住空間と倉庫群との位置関係については、居住空間主要部の一部を構成する例、居住空間主要部と区別されるがそれに近接して造営されているもの、居住空間主要部とは別院を構成するもの、とに区分できる。これらは、居住空間の建物群のあり方からみ階層的な差に対応する可能性も考えられる。総柱式高床倉庫の規模は、郡領層の居宅や畿内豪族の居宅の一部を除くと、郡衙正倉に比べて、柱掘りかたが総体的に小型であり、平面積も20m^2以下に集中しており、集落遺跡に認められる総柱建物の規模と基本的にかわりがないことが判明した。また、居住施設をも含めて、存続期間が短期で、建物配置などが大きく変化している傾向が認められる。こうした点から、居宅の倉庫群には権力誇示装置としての性格は余り認めがたいこと、主に、穎稲収納倉庫として機能していた可能性が高いことを推測できる。この収納稲は、量的にどのくらいになるのか、主に私営田の営料や私出挙用であったのか、あるいは複合的な大家族構成の食糧用であったのか、居宅以外の場所に設けられたとみられる倉庫群とはいかなる関係にあったのか、などの検討が今後の課題となる。
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